伝統工芸特集:銀細工師 二代目 信重
江戸の鎚起(ついき)技術を引き継ぎ、100年以上の歴史がある末次派を原点に、二代目信重が腕を振るっている。
現在の生活にも対応した銀、金などを使用した貴金属工芸を生業とする。
★銀細工への思い 二代目信重のインタビューより抜粋
「伝統工芸を基盤に現在にも即した生きた工芸で世界に貢献する」これが信重ブランドの理念です。
伝統を基盤に、現在のニーズにも答えていきたいです。
物作りは私の人生でなくてはならないもののようで、定年もございませんし色々と作っていきます。
★銀とは!?(侍アート調べ)
銀製品は馴染みがあるようで、無いものではないかと思う。
ここで、そもそも銀とは何かを知っていただきたい。
銀はその白い輝きから宝飾品としても広く利用されてきた。
古代には金に対する銀の比価が非常に高く、細工のしやすさなどから貴族社会に重用された。古墳自体にも銀アクセサリーは使われていた。奈良時代には香炉、透かし箱、飾り金具、州浜など家具や調度にも多用された。
時代が進むと、貨幣としての使用や、銀器など、上流階級の装飾品として用いられてきた。
また、占星術や錬金術などの神秘主義哲学では月と関連付けられ、銀は男性を、金は女性を意味していたが、あるときを境に位置が逆転し、銀は月や女性原理などを象徴するものとなり、一方、金は太陽や男性原理などを象徴するものとなった。
中世頃は金、銅と並んで日本から海外への貴重な輸出資源であって、金山、銅山同様、天領といわれる時の権力者が直轄するという形を取っていた。
国内で有名な銀山は世界遺産となった石見銀山(島根県)、生野銀山(兵庫県)が上げられ、共に天領であった。
銀山をめぐる争いも少なからず起きた。特に石見銀山から産出される銀は豊臣秀吉の朝鮮出兵の軍資金にも当てられたという逸話が残っている。
このように銀山から産出する銀は、歴代の権力者を着飾り、富をもたらし、権力の象徴となった。
★二代目 信重の銀細工の技法
最近の主流の機械になるべく頼らずに製作をするように心がけ、一つ一つ手間をかけで作られている。
商品ごとの用途に合わせ、シルバー925から999(純銀)までを使い分けている。
また、かんざしなどの場合、ろう付けなどを極力しないで製作しており、なまされていないので大変使いやすいようになっている。
①切り回しとすかし
切り回しは、商品に合わせた厚さに延べた地金(ひらうち)を材料とし、糸鋸を使いモチーフを切り抜いていく技法。
すかしは、モチーフのなかに文様を切り抜く事によって文字通り「すかし」が抜き上がる。
二代目信重が得意とする技法。
②なまし
バーナーなどで熱を入れて素材をやわらかくする技法。
③鎚打ち(つちうち)
銀の針金を製作している場面。一度なました地金を叩き、適度な長さ、厚さにする。
その後、ヤスリを丁寧にかけ、必要な太さの針金にする。
整形の目的と、地金を締めることで、硬さが出てネジ山を切ることも出来る。
④打ち出し
地金を松脂で台に固定する。
ある程度やわらかい松脂(バーナーなどであぶり温度で硬さを調整、油分も四季の気候変動に応じて配合を変えている)を使い、表面をタガネで打ち出す事によって肉を付けていく。
立体的なレリーフ状のものを作る際に用いる。
厚めにすることを、高肉といい薄いものを薄肉といい、装身具の場合、中を中空に出来ますので軽く作れるメリットもある。
・炭研ぎ
製作中に付いた、傷などを取る下地の仕上げ。
主にホウ炭(ほうの木を炭にしたもの)を使います。銀よりもやわらかい材質でこすることで地金を減らしにくく傷のみを取り除く。
・バフ研磨
艶仕上げの場合、炭研ぎの後、バフで輝きを出す。
・ヘラがけ
細かい凹凸や傷も鋼のヘラでこすり表面をつややかにする。
・あらし
炭研ぎ後の表面に金剛砂(こんごうしゃ)をぶつけ、小さな傷を付ける事によって、光沢をとりマットな仕上げに。反射率の高い銀の白さをを引き出す作業でもある。
傷を付けるために使われる砂はガーネットを含有する金剛砂だ。
・古美(ふるび)
銀が硫化成分などと結びついて黒く変色する硫化作用を利用して、輝くような銀色ではなく敢えて黒褐色に燻す技法。
秘伝のたれ(金古美)を塗り、太陽光線に当て、黒くする。
立体感を出し、アンティーク調にする際に用いられる。
※つやを出せばプラチナよりも反射率が高く、マットにすれば白く、古美を使えば、渋い色に、銀から引き出される表情はどれも魅力がある。
最後は銀工房の歴史と過去作品で締めくくりたい。
ルーツは江戸城お抱え職人であった末次吉之助を発端とする末次派までさかのぼる。
その末次師に初代小島信重が弟子の一人となり、その鎚起技術を受け継いだ。
戦前当時、ある財閥からの依頼の仕事が多かったそうだ。
初代の死後、二代目はまだ若かったため、初代 信重の血縁の弟子であり、現在の二代目の義父 小島恵雲が築いた(有)小島製作所に二代目は入所。
小島恵雲は、当時、花形航空機だった爆撃機を銀で製作し、宮内庁に納品。
技術保存されている。
また、当時、皇太子殿下であられた、現天皇陛下にも献上品を製作した。
当時、宝船やヨットは盛況に売れ、小島製作所の時代には、時間と労力を惜しみなくかけ、様々な作品が職人として製作された。
宝船
ヨット
主に銀器ではなく、置物が多かった。
兜や、国鳥雉なども作っていた。
平成18年に、二代目 信重は、独立。
銀工房 こじま を立ち上げた。
これまでどおり、職人としてのOEMも行いながら作家として、オーダーメイドなども手がけ、一ブランドとなるべく、精進を続けている。
上記画像は「九七式重爆撃機」の青焼き。
残念ながら現物は工房に残ってないが、あまりの精巧さにスパイ容疑がかかったという逸話が伝わっている。
伝わっているのは作品だけではない。
「金属工藝秘法集」
これは金工のノウハウや化学変化による色の妙などが細かく記載されている文献だ。
硫酸銅や緑青など、化学変化を利用するための技術の機微が詰まっている。
古い文献だからだが、梅酢や梅干、大根おろしなど日用品が、使われている点は、現代人には不思議である。
その技術を利用する事によって、たとえば、赤銅(しゃくどう)、を黒くすることや四分一という金属を褐色にしたり、純銅を朱にしたりする技法がつづられている。
最後に なんとも居心地の良い工房で長い時間話を聞かせていただき、銀細工を作る工程を見せてもらった。銀工房の皆様には心から感謝したい。
その壱:「面-おもて-を打つ」 能面師 久保雅像
その弐:「銀細工-匠の技-」 銀細工師 二代目 信重
その参:「伝統工芸を纏う」 侍Art
その四:「伝統工芸で彩るウェディング」 侍Art

















