日本の伝統工芸:能面師:久保雅象
能は、「幽玄」の理念を打ち出す伝統芸能として、日本人なら誰しも知っていますが、その起源や歴史については意外と知られていません。
正確なことが解っていない、と言う方が適切でしょう。
その起源は7世紀頃に中国大陸より伝来した伎楽、また奈良時代に伝来した散楽が元になったのではないかと推測されています。
観阿弥とその息子の世阿弥(世阿彌)が、室町期に将軍足利義満の庇護を受け、猿楽を洗練された能へと昇華させることになります。
能の特徴に「死者の世界からものを見る」という構造がありますが、多くの場合、霊や神、鬼といった超自然的存在が主役(シテ)となり、生身の人間である脇役(ワキ)が彼らの話を聞き出す構造をとります。
これは、能が大成された室町期が戦乱の時代であり、「死」が人々にとって極めて身近なものだった世情を反映しています。
続く戦国時代には、織田信長や豊臣秀吉らといった時の権力者に、また江戸時代には徳川家康をはじめ歴代の将軍にも愛好され、能は繁栄を続けます。
しかし維新という新たな時代を迎え、幕府の儀式芸能としての能は、廃絶の危機に瀕します。
各流派は互いに排他的になり流派間の交流や共演は消滅していきました。
その後の転機となったのは、なんと第二次世界大戦の敗戦でした。
戦禍により多くの能舞台が焼失し、各流派の能楽師たちは流派の壁を越え、焼け残った舞台に集い、共同で稽古を始めたそうです。
若手の能楽師たちは、他流派の有能な能楽師からも教えを受ける機会を得て、現在に続く能の魅力と人気が生まれたそうです。
能面の起源は、能よりもさらに大きな謎に包まれています。
今では能楽や一部の神楽で用いられていますが、歴史を辿ると伎楽面や舞楽の仮面などの影響を受けたといわれ、観阿弥・世阿弥が能を大成させる以前においても極めて高い水準で完成されていたと言われています。
能面は鬼神・老人・男・女・霊の5種類に大別され、さらにその分類は大きく分けて80種。
現在打たれている面の型は、さらに細分され約300種近くが存在するそうです。
能面の制作は「彫る」のではなく、面(おもて)を打つと表現されます。
また、顔に付けることを「面を掛ける」と言います。
「打つ」という言葉には、面を姿木の中から打ち出すという精神的な働きがあり、ただ「彫る」作業とは異なるそうです。
面は、その姿だけでも見る者を圧倒しますが、役者の芸により様々な表情や感情を発し、仮面劇としての能を今日まで支えてきました。
本日は、能面の魅力と制作方法について、能面師として独自の世界を切り開いてきた久保雅象さんのところへインタビューへ行ってきました。
素材選び
能面の素材の多くは檜材で、原木を縦に4等分にしたものを用います。
白木肌が美しく、耐久性が高いのがその理由です。
材によっては脂(やに)が出るのが難点ですが、丁寧に処理をすれば問題もなく、また脂自体が面の表情にリアリティを生むこともあるそうです。
檜の他に、材の比重などの特性を活かして、樟材・桂材・朴材などを用いることもあります。
写真は檜材です。通常は、節や割れ、樹芯が偏った材や脂が出ているものなどは避けて使います。
木取り
十分に自然乾燥させた原木を、樹芯や辺材を除き、約30㎝の長さに鋸でひき、一面相当の大きさに余裕を持って鉈で割り取ります。
この時、繊維に沿って割ることが多いそうです。
それを面のサイズに合わせて寸法取りし、適当に辺部や不要部分を取り払います。
荒彫り
鑿(のみ)を木槌でたたいたり、突鑿(つきのみ)を押して削ったりして、面の形を粗く引き出します。
面打ちの工程の中では、最も激しい作業であり、面の制作で最も表現力と技量が要求される工程だそうです。
熟練の技をもって、面の骨格と顔の要所を定めて彫り進めます。
この時点では、木地の厚みをまだ十分に確保します。
中彫り
様々な刀を使い分け、徐々に細い顔形へ彫り進めます。
この時に面の表情を意識して、表していきます。
同時に面の裏も彫り進めます。
木地の仕上げ
中彫りで顔形が具体化したところから、口を開き、目を開けて、肌を整えます。
面の掛け具合なども調整していきます。
木彫りの最終段階とも言え、表情が徐々に完成していきます。
研磨
表の木地を磨いて仕上げていきます。
写真は穏やかな表情の面のため、刀の跡などは残さず、なめらかに磨いていきます。
研磨材としては、鑢(やすり)や鮫皮の表面、犬・鯛などの歯など木地の仕上げ方により様々です。
面裏の漆塗り
彫りあがった表の裏に、耐水性や耐久性、美的効果のため、漆を塗ります。
漆は埃を嫌うので、作業には最新の注意を払います。
漆を乾かすには漆風呂という設備が必要で、その中で漆が適温・適湿の状態になるよう調整を行います。
漆を乾かすのに長い時間を要するため、短時間で能面が完成しない理由がここにあります。
彩色
牡蠣殻で作った胡粉(ごふん)をすり潰して、濃度を調整した膠(にかわ)液で溶いて表面に塗ります。
その下地の上に、さまざまな顔料を用いて胡粉上地を塗布し、肌合いを調整します。
この彩色が面に生命を吹き込み、面の性格を表していきます。
最後に上塗りの化粧を施します。
この場合は、口に朱、目に墨を入れ、眉や髪の毛書きをします。
毛書きは彩色の中で最も神経質になり、緊張する作業だそうで、息をつめて筆の勢いで一気に描きます。
古色
古く見せるために施されると思われている古色ですが、実際には、煤(すす)などを用いて胡粉上地や上塗りの色を調整するための一工程だそうです。
植毛(当制作工程外の作業)
が、尉や悪尉などは木地が彫りあがった時に穴を作っておき、彩色の仕上げ前に毛を植え付け、髪を結います。
目・歯の金具(当制作工程外の作業)
銅・真鍮板を叩き延ばしたり、曲げたり、削ったり、磨いたりして形を作り、メッキを施して目や歯の金具を作り、はめ込み膠で接着します。
彩色の仕上げ
最後に客観的に面を見つめ直し、面の表情や色の調整を行います。
面は仕上がっても、作者にとって、いつも未完の状態で心が残るそうです。
孫次郎、完成!!
※実際の作成は、2~3か月かかります。
久保さん「死ぬまでに1つでいいから、納得できる面を作りたい」と口癖のようにおっしゃいます。
私から見るとどの面も表情が豊かで素晴らしいものばかりですが、そこはプロ意識なのでしょうか、ご自身の面にも厳しい目をお持ちです。
日頃から、古面の展覧会などには足繁く通い、また能の舞台を見ては実際に面を掛ける人の心を感じ取り、制作に活かす努力をされているそうです。
最近は、能面師といっても、まったく舞台を見ないで作る人もいるそうで、実用性を伴わない、心のない面が出回ることを、久保さんは残念に思われていました。
そんな久保さんが一番好きな面は、孫次郎だそうです。
孫次郎に対する熱い想いを語る姿には、私も思わず笑みがこぼれてしまいます。
ひとつひとつの面に想いがあり、その想いが豊かな面の表情につながっているのでしょう。
お部屋の中にある一つ一つのものが温かく、穏やかで、取材に来た目的も忘れ、心癒されるひと時を過ごさせていただきました。
久保さんに面にまつわるエピソードを教えていただきました。
『道成寺』 (どうじょうじ) は、紀州道成寺に伝わる、安珍・清姫伝説に取材した能楽作品です。
安珍・清姫伝説の後日譚に従い、白拍子が紀州道成寺の鐘供養の場に訪れます。
女人禁制の供養の場でありましたが、白拍子は舞を舞い歌を歌い、隙をみて梵鐘の中に飛び込みます。
すると鐘は音を立てて落ち、祈祷によって持ち上がった鐘の中から現れたのは、白拍子が蛇体に変化した姿でした。
蛇は男に捨てられた怒りに火を吹き暴れますが、僧侶の必死の祈りに堪えず川に飛び込んで消え失せます。
この「道成寺」では、能面が、増女(ぞうおんな)→橋姫(はしひめ)→なまなり→蛇(じゃ)(蛇は「道成寺」の専用面)と変化をしていきます。
戦国の時代、能を好んだ秀吉が、この「蛇」の面に耳があることを不吉がり、「蛇」の面を使用することを禁じました。
ある能の流派(観世流)では、今でも「蛇」の面を用いず、「赤般若」を用いるそうです。
久保さんは、過去にこの面の制作に取り組んだことがあるそうです。
制作が進むと、目が2重に見えるようになり、病院にかかりましたが治る気配がありません。
そうこうするうちに、奥様が骨折をなさったので、これは縁起が悪いと、制作をお止めになったそうです。
その後、能面師仲間が「蛇」の型を貸してくれというのでお貸しになると、その方は植木の伐採中に梯子から落ちて怪我をし、また他の方は腕を大きく切るけがをなさったそうです。
そうして蛇の面は、これまでの制作活動の中で、唯一未完の作品として置かれることになったとか・・・偶然かもしれませんが、なんとな~く不吉な感じがする話ですね。
2008年12月14日
その壱:「面-おもて-を打つ」 能面師 久保雅像
その弐:「銀細工-匠の技-」 銀細工師 二代目 信重
その参:「伝統工芸を纏う」 侍Art
その四:「伝統工芸で彩るウェディング」 侍Art


























